11月下旬に京都市東山区の来迎院に紅葉を見に行った後、泉山(せんざん)を北西に約5分歩き悲田院に参拝しました。
悲田院もまた来迎院と同じく泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たっちゅう)。
ここも、紅葉の時期でも人が増えることはなく静かなお寺です。
まだ青葉が目立つカエデ
悲田院には、JRまたは京阪電車の東福寺駅から東に約15分歩くと到着します。
泉山の西端に向かうように進み、悲田院の山門の前にやって来ました。

山門
朱色が今の時期にぴったり。
山門をくぐると、参道の左側に背の高いカエデが植わっています。
11月も終わりが近いというのに紅葉はまだ見ごろ前ですね。

参道の紅葉
カエデの南側にも背が高い木があり、それが日射しを遮っているため、なかなか赤くなってこないようです。
カエデの近くには、弘法大師空海の像。

弘法大師像と紅葉
カエデの枝先は、赤より緑が目立つ状態で、紅葉が見ごろを迎えるのはまだ先のようです。
赤くなっているモミジは色が薄く、青葉も色あせた緑色で、お世辞にもきれいとは言えないですね。
これからもっと赤くなる可能性もありますが、それほど紅葉が進まず散ってしまいそうな感じもします。
悲田院の唯一のカエデが、紅葉の見ごろ前だったのはちょっと残念。
参道を西に歩いていくと、左手にお地蔵さまがいらっしゃいます。

お地蔵さま
左手に赤ちゃんを乗せ、穏やかな表情。
子育てのご利益を授けてくれるお地蔵さまでしょうか。
供えられた白、黄、赤の3種類の花がお地蔵さまを照らすライトのよう。
京都市街の眺め
参道の先に毘沙門堂が建っているのでお参り。

毘沙門堂
悲田院に祀られている毘沙門天は泉山七福神めぐりの一つに数えられています。
北方の守護神で多聞天とも呼ばれており、闘いと財宝の神さまとして崇められ、魔を退け勝利をもたらし福を呼ぶとされています。
福を授かれるよう、しっかりお願いしておきましょう。
悲田院は、貧困者や孤児の救済施設として、聖徳太子が四天王寺に設けたと伝えられており、平安京にも東西2ヶ所に設けられました。
泉山の悲田院と平安京の悲田院との関係はよくわかっていないとのこと。
ここ悲田院は、延慶元年(1308年)に無人如導(むにんにょどう)が、現在の上京区扇町に天台、真言、禅、浄土の四宗兼学の寺院として建立。
正保2年(1645年)に高槻城主永井直清の支援を受け、如周恵公(にょしゅうけいこう)が泉涌寺山内に移建・再興し現在にいたります。
本堂などの拝観も500円を納めればできるようですが、3日前までに電話での予約が必要ということです。
電話番号は、京都府観光協会の悲田院のページで確認してください。
今回、悲田院を訪れたのは、境内から京都市街を眺めるため。
西に目を向ければ京都タワー。

京都タワー
その向こうには京都市を囲む山々も見えます。
市街は背が低い建物ばかりなので、山が雄大に感じます。
北に目を向けると東山が間近に見られます。

東山
正面に見えるのは、豊臣秀吉のお墓・豊国廟がある阿弥陀ヶ峰。
晴れていれば、もっと清々しい景色なのですが、悲田院に到着した頃は雲が厚くなり、青空がほとんど見えませんでした。
毘沙門堂の前では、柑橘系の黄色い実がたくさんなっていましたよ。

柑橘系の実
一般的なミカンではないのはわかりますが、種類は不明。
細い枝が、テニスボールくらいの実を重たそうに吊るしています。
その重さに耐えきれなかったのか、石の上には実が1つ落ちていました。
境内では、ナンテンも赤い実をつけ冬の姿。

ナンテンの実
毘沙門堂にお参りを済ませ京都市街も見渡したので、そろそろ悲田院から出ることに。
参道を山門に戻る途中、「水道布設費 納骨堂建設 高槻舊藩士有志」と刻まれた石柱に気づきました。

石柱
悲田院は、江戸時代が終わった後も、高槻藩の旧藩士から援助を受けていたんですね。
組織は消えても人の縁は続くのだなと感慨深くなりましたよ。
泉山には、たくさんの紅葉の名所があり、1日楽しむことができます。
今回は、泉山の一部のお寺しか訪れていませんが、他に泉涌寺はもちろん雲龍院など、紅葉がきれいなお寺がいくつもあります。
どのお寺も、比較的人が少なく、落ち着いて紅葉を見られる良い場所です。
この後は、東福寺に紅葉を見に来ます。